| 大阪駅または京都駅からJR京都線(在来線)で約30分
 
 大山崎駅からなだらかな坂道を歩いて10分ほど。木津、
 
 宇治、桂の三川が合流する天王山麓を切り拓いて、加
 
 賀正太郎が週末を過ごす山荘づくりに取り掛かったのは
 
 大正3〜4年。100年近くも前のことです。
 
 英国遊学中にウィンザー城から眺めたテ‐ムズ河畔のラン
 
 ドスケープに似たこの大山崎の地を選んだそうです。
 
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 | 建築当初とほぼ同じ状態の 『悠々居』と称された本館
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            | 山麓にさしかかると巨大な岩の洞穴を潜り抜けるようにして
 
 進んだ先に、明るい色の西洋瓦をあしらった開放的な表門
 
 があり、早々から心憎い演出。この年は全国的に紅葉はイ
 
 マイチでしたが、 大山崎山荘の楓は常緑樹の間で一本一
 
 本微妙な紅葉が楽しめました。
 
 |  一木一石に至るまで加賀正太
 郎の美意識が感じられる表門
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            | 大山崎山荘の建築当初の建物についてはアサヒビール・大 
 山崎山荘美術館のホームページや加賀千代子夫人の随
 
 想でも語られているように、スコットランドの炭鉱労働者住
 
 宅がモデルになっているのに対して、英国人の血を引くハン
 
 ス・ハンターが後年昭和13年前後に小平に設けた範多邸
 
 は那須塩原の庄屋を移築して純和風の造りでした。
 
 しかし、柱や梁の1本1本にもこだわって美意識を追求して
 
 いる点に関して、正太郎とハンス・ハンターには共通する部
 
 分が多いと感じられました。
 
 ハンス・ハンターもかつて大山崎山荘を訪れ、参考にした点
 
 が多いのではないでしょうか。 右の2点は大山崎山荘と範
 
 多邸の天井部分で、和洋の違いを超えて木組みの精巧さ
 
 や美がたくみに生かされています。
 
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                  | 大山崎山荘本館1階ホールの 吹き抜け
 
 
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                  | 小平・範多邸座敷の照明と天井 |  | 
          
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 大山崎山荘が位置する天王山麓は、天正10(1582)羽柴秀吉と明智光秀の
 山崎の戦いで知られる天王山の南麓で、木津川と宇治川、桂川が合流して淀
 川となる地点です。
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